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モネの愛した沿線

 このところシアンスポの講義でルアーブルに通っているというお話は先週紹介しました。ルアーブルには、パリ・サンラザール駅から在来線特急で2時間かけて行くのですが、この鉄道路線は実は印象派の大家クロード・モネ(1840-1926年)と大変ゆかりのあるものなのです。そもそも、鉄道の開通により画家たちが郊外に出かけ、光溢れる風景を描くことができるようになったことが印象派登場の背景となったという意味で、鉄道と印象派とはゆかりがあるわけですが、サンラザール=ルアーブル路線(以下、本件路線という)とモネとはもっと深い縁で結ばれています。

 まず、モネは1840年にパリはラフィット通り45番地に誕生しました。オスマンによるパリ大改造前のことなので定かでありません(パリの道辞典というものがあるので、調べられるとは思いますが未確認)が、現在のラフィット通りは拙宅のすぐ近く、サンラザール駅から程近いところにあります。なお、サンラザール駅はその3年前の1837年に開業しています。

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 その後、1845年にモネ一家はルアーブルに引っ越し、クロードは少年時代をこの地で過ごします。その後、1859年、美術学校入学のため、パリに転居し、無名時代を概ねパリで暮らしました。その後、パリ郊外セーヌ河畔のアルジャントゥイユに転居しますが、ここは本件路線上にはないものの、やはりサンラザール駅から出発して途中で分岐した先にあります。この間1874年に第1回印象派展が開かれ、有名な「印象、日の出」(1873年)を出品し、周知のようにこれが「印象派」という名称の由来になったわけです。ところで、この作品はルアーブルの港の風景を描いたものなのです。また、ルアーブルとはセーヌ川の対岸にある美しい街オンフルールを描いた作品も何点かありますね。第2次大戦で灰燼に帰したルアーブルとは対照的に、小さく可愛らしい港と古く美しい町並みが残るオンフルールは現在も人気の観光地です(下の写真)。
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 さて、モネは1878年にはアルジャントゥイユを離れ、パリ及びその近郊の村々でそれぞれ短期間暮らしたあと、1883年にはジヴェルニーに転居、1926年に没するまでここですごします。ジヴェルニーについては本ブログでも以前に紹介しましたが、モネの家と庭園が残され、日本人にも人気の観光地になっています。ちょうどこれからが訪問するのに良い季節なのではないでしょうか。このジヴェルニーに公共交通機関で行くには、やはりサンラザール駅から本件路線をたどり、45分ほど行ったヴェルノンという駅からバスで20分ほどということです。
  http://www.francechateaux.jp/theme/giverny/train&bus/access.html
 また、ヴェルノンで降りずにそのまま20分ほど行くと、ルーアンという比較的大きな街がありますが、ルーアンにはモネの兄弟が住んでいることもあって、たびたび訪ね、これまた有名な連作「ルーアン大聖堂」等の作品を描いています。シアンスポのルアーブルのキャンパスで日本語を教えておられる日本人の先生がルーアン在住で、ご好意で案内して頂きました(ありがとうございます)が、ルーアン大聖堂(下の写真)はもちろん、大時計、ジャンヌ・ダルクが処刑された広場(現在ジャンヌ・ダルク教会が建つ)、そして劇作家コルネイユの家、さらにはかつてのノルマンディ高等法院(現在も裁判所)など、見所の多いところです。
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